園長だより

ミセス・タッピング先生の教育

ミセス・タッピング先生の教育 

新年度構想を検討する時期になると初代園長ミセス・タッピング先生の教育方針を調べたくなる。先生は1863年米国に生まれ、カレッジを卒業後24歳ドイツに留学し2年間音楽を学んでいる。1888年結婚。1895年(明治28年)ご主人が関東学院教授として来朝。夫人は東京に保母養成所と幼稚園を創立(現在の彰栄学園)している。明治40年ご主人が盛岡に宣教師として赴任。先生は長岡栄子女史の保育会を継承し盛岡幼稚園を創立、初代園長となる。

当時、ドイツで始まったフレーベルの幼児教育が世界に広がっていて、知識を与え詰め込ませるような早期教育ではなく、子どもの本性と個性を尊重した教育を重視した。

 盛岡幼稚園創設にかかわった長岡栄子氏やミセス・タッピング先生そして一緒に働いた佐藤トク先生等、共にフレーベルの教育を行っている。その教育課程や計画は資料として残っていないが、どのような教育内容だったのかは、長岡輝子著『父からの贈りもの』や盛岡幼稚園90周年史に卒園生の思い出として書かれていて参考になる。

令和5年2月17日 園長 坂本信行