園長だより

90年前の三陸大津波

タマシン・アレン先生 

  本日(3月3日)の岩手日報一面に、90年前の三陸大津波に関連して、久慈幼稚園創設者タマシン・アレン先生のことが掲載されていた。昭和8年の三陸大津波の際、被災した三陸沿岸各地を回り被害状況を国内外に発信し、支援活動を行った。

久慈幼稚園は昭和13年に開園している。当時のひな人形が大切に保存され、今年もアレン先生の復旧への願いが込められたひな人形が飾られたというニュースであった。

  タマシン・アレン先生は盛岡幼稚園第8代園長で、昭和2年から昭和12年まで務めている。新聞記事で紹介されていたが、アレン先生は「人は誰でも宝を持っている。その宝はみんなのために使わなければならない」との言葉は、本園の方針にも相通じるものがある。

令和5年3月3日 園長 坂本信行 

ミセス・タッピング先生の教育

ミセス・タッピング先生の教育 

新年度構想を検討する時期になると初代園長ミセス・タッピング先生の教育方針を調べたくなる。先生は1863年米国に生まれ、カレッジを卒業後24歳ドイツに留学し2年間音楽を学んでいる。1888年結婚。1895年(明治28年)ご主人が関東学院教授として来朝。夫人は東京に保母養成所と幼稚園を創立(現在の彰栄学園)している。明治40年ご主人が盛岡に宣教師として赴任。先生は長岡栄子女史の保育会を継承し盛岡幼稚園を創立、初代園長となる。

当時、ドイツで始まったフレーベルの幼児教育が世界に広がっていて、知識を与え詰め込ませるような早期教育ではなく、子どもの本性と個性を尊重した教育を重視した。

 盛岡幼稚園創設にかかわった長岡栄子氏やミセス・タッピング先生そして一緒に働いた佐藤トク先生等、共にフレーベルの教育を行っている。その教育課程や計画は資料として残っていないが、どのような教育内容だったのかは、長岡輝子著『父からの贈りもの』や盛岡幼稚園90周年史に卒園生の思い出として書かれていて参考になる。

令和5年2月17日 園長 坂本信行 

新年度運営方針の検討

新年度運営方針の検討   

 1月4日の仕事始めの会で、理事長より職員に対し令和5年度の運営方針が提示された。それが過日の理事会や評議員会で承認された。それを受けて、令和5年度の運営の重点や具体的な取り組みの方向性を園長が示すことになっている。無償化になった昨今、幼児教育保育に関してやつぎばやに国から示されてきている。例えば、新たに4月より「こども家庭庁」が設置されることになっているし、文科省からは昨年「架け橋プログラム」構想が発表になり、加えて、当県でも「いわて幼児教育センター」が設置され二年目を迎える。また最近では「異次元の少子化対策」というキャッチフレーズが飛び出した。このように今後さまざまな機関から幼児教育保育に関する事業が求められてくると予想されるが、今のところそれらからの具体的な取り組みはまだ示されていない。しかし、運営方針を決める際にはそれらの動向にも注視していかなければならない。

令和5年2月3日 園長 坂本信行  

幼児教育の基本

幼児教育の基本         

 年末には園バスでの置き去り事件や保育者の園児に対する虐待など不適切な保育について話題になり報道された。私たち子どもを預かるものとしてあってはならないことで他人ごとではない。職員間でもそれに関して話し合った。私たちが最も大事にしなければならないのは、子どもの命である。前に『裸の木蓮』の詩で紹介したように、私たちはどんなに厳しい環境下でも一番大切なものをしっかり守って毅然と立っている木蓮のようにあらねばならない。

生涯にわたる学びの土台を育む幼児教育の基本は、子どもの命を守り、子どもを中心とした教育である。子どもの人権を尊重し、主体的な学びを重視した教育である。子どものやってみようとする意欲を引き出す教育である。新しい年を迎え、新たな気持ちで幼児教育の基本を考えているこの頃である。

令和5年1月19日 園長 坂本信行