園長だより

落ち葉掃き

落ち葉掃き     

 落葉の季節である。今年は遅い遅いと思っていたがやっと落ち始めた。樹の種類によって落ちる時期も異なり、姫木蓮やハナミズキが早く、落ち始めたと思ったらもう無い。この時期になると園庭の落ち葉はきが職員の日課になっていて、二宮尊徳の「天道」と「人道」の教えが頭をかすめる。葉が落ちるのが天道で自然のなせることでどうしようもない。しかし、幼稚園は街中にあるので、落ちるままにしていれば近所にご迷惑になるので、落ち葉を掃く必要がある。その行為が人道である。葉は日々休まず昼夜の区別なく落ちるし、掃いても掃いても落ちる。しかしこれに心を煩わしたり、いらいらしたりしてはいけない。一日に一回掃いたら、あとは自然のままでよいというのである。一時間ごとに何回も何回も掃く必要がない。つまり天道と人道の調和が大事であると教えている。

 子どもたちの教育・保育にもこの「天道と人道の調和」のような考え方が大事ではなかろうかと常日頃考えている。子ども自身がもっている伸びようとする力とそれに対する適切な大人の関わりの調和が大事ではなかろうか。ほったらかしもいけないし、かまいすぎもいけない。時には我慢も必要である。子どもたち自身の伸びようとする力を育みたい。

  令和5年11月7日 園長 坂本信行

体験の大事さ

体験の大事さ   

 Aクラスの描いたさつまいもの絵を見た。太く大きいものや細長いもの、曲がりくねったもの、ごつごつしたものなどが画用紙いっぱいに描かれていた。自分の手を使ってさつまいもを掘り、実物に触った時の感触が表現されていて、掘った時の歓声が同時に私の頭によみがえった。

体験をただ行っただけでは物足りない。やりっぱなしではなく、その感激を仲間と共有しあうことが学びにつながる。ごつごつしている、重いなどのことばや今回のようにさつまいもの実物をみて絵に表すことが大事である。この経験が小学校に行ってからの生き生きとした作文等につながるものと信じている。実体験がいかに大事かを改めて認識した。アクティブラーニングである。

 令和5年10月27日 園長 坂本信行 

譲るという行為

譲るという行為 

 譲るという行為について考えている。乳幼児にとってこの行為は難しい。自分の物と他人の物という区別の意識はなく、欲しいものはすべて自分の物である。例えば、1歳頃はお友達がおもちゃで遊んでいるとき、そのおもちゃを何も言わずに奪ってしまう。奪われた子は、何も言わずに奪った子の腕をとっさに噛んでしまう。力の加減ができないので、腕には歯形がついてしまい子供は泣く。

この時の保育教諭の対応は、先ずかまれた子に対して腕を冷やしながら「痛かったね」と言葉をかけながら手当をする。嚙んだ子に対しても、「○○ちゃんが痛い、痛いと泣いているよ。」「遊んでいるおもちゃをとられて嫌だったのね」と、嚙んだ子や噛まれた子の気持ちを言葉で代弁し、気持ちを認めながら、「貸して」「いいよ」「イヤ」「どうぞ」「ありがとう」「ごめんね」などの言葉で表現することを教えていくことが大事である。「感情を言葉に」である。

   令和5年10月20日 園長 坂本信行 

タカサブロウ

ハキダメギク   

園裏の花壇にハキダメギクのようなものが咲いていた。花は小さい白い花で目ただないが、40㎝くらいの草丈が繁茂しているので目につきやすい。この花と初めて出会ったとき、図鑑で調べた時のことを思い出す。ハキダメギク。牧野万太郎の命名である。掃きだめのようなところに生えているからと説明があった。確かにそのような場所ではあったが、「掃きだめ」ではその花に失礼である。牧野らしくはないと思った。

裏の花壇に咲いている花をよく見ると、ハキダメギクとは違っていた。色や大きさは同じだが、花弁の形が違っていてタカサブロウだった。しかし、この花もハキダメギクと同じように花は小さくて目立たないが、私をしっかり見てと言わんばかりに花弁をしっかり開いて光っていた。

     令和5年10月16日 園長 坂本信行