園長だより

新年度スタート

サンシュユ

 4月3日、職員の辞令交付を終えた。職員の表情から新たな気持ちで教育保育に携わろうとする姿が読み取れた。令和5年度のスタートにふさわしく、園庭にはサンシュユの黄色の花が満開になり、白い姫木蓮が枝の先端部に咲き始めた。花壇にはパンジーが咲いていて気持ちがよい。当園で春一番に咲くのはサンシュユである。卒業式が終わると黄色が日に日に目立つようになる。今が満開である。園庭の樹木に冬の間取りはずしていた名札がつけられた。教育の場としてふさわしい。担当係に感謝したい。

 4月より始まった朝のテレビ「らんまん」は牧野富太郎博士の物語だという。牧野は「サンシュユ」を「ハルコガネバナ」と命名した。花の付き方を見ればハルコガネバナの方がぴったりする。

石割桜も満開という。例年より1週間は早い。今年度もよろしくお願いします。

令和5年4月4日 園長 坂本信行

誰にでもよさがある

卒園文集『ひかりのこ』    

  当園では毎年卒園を記念して文集『ひかりのこ』を発行している。今年度も作成し、このほど手元に届いた。経費は保護者負担で結構な額になっている。

  今年も読ませていただいた。一人一人の親子写真が掲載されていて、どの親子も笑顔が素晴らしい。加えて保護者の子どもに対するコメントがよい。こどものよさ、すばらしさに目をむけているのが何よりも素敵である。『万象具徳』である。

  どんなものにもよさがある どんなひとにもよさがある

  よさがそれぞれみなちがう よさがいっぱいかくれている

  どこかとりえがあるものだ もののとりえをひきだそう

  ひとのとりえをそだてよう じぶんのとりえをささげよう

  とりえとりえがむすばれて このよはたのしいふえせかい

子どもの良さを見つけ、引き出し、伸ばすのは大人の役割である。

令和5年3月17日 園長 坂本信行  

90年前の三陸大津波

タマシン・アレン先生 

  本日(3月3日)の岩手日報一面に、90年前の三陸大津波に関連して、久慈幼稚園創設者タマシン・アレン先生のことが掲載されていた。昭和8年の三陸大津波の際、被災した三陸沿岸各地を回り被害状況を国内外に発信し、支援活動を行った。

久慈幼稚園は昭和13年に開園している。当時のひな人形が大切に保存され、今年もアレン先生の復旧への願いが込められたひな人形が飾られたというニュースであった。

  タマシン・アレン先生は盛岡幼稚園第8代園長で、昭和2年から昭和12年まで務めている。新聞記事で紹介されていたが、アレン先生は「人は誰でも宝を持っている。その宝はみんなのために使わなければならない」との言葉は、本園の方針にも相通じるものがある。

令和5年3月3日 園長 坂本信行 

ミセス・タッピング先生の教育

ミセス・タッピング先生の教育 

新年度構想を検討する時期になると初代園長ミセス・タッピング先生の教育方針を調べたくなる。先生は1863年米国に生まれ、カレッジを卒業後24歳ドイツに留学し2年間音楽を学んでいる。1888年結婚。1895年(明治28年)ご主人が関東学院教授として来朝。夫人は東京に保母養成所と幼稚園を創立(現在の彰栄学園)している。明治40年ご主人が盛岡に宣教師として赴任。先生は長岡栄子女史の保育会を継承し盛岡幼稚園を創立、初代園長となる。

当時、ドイツで始まったフレーベルの幼児教育が世界に広がっていて、知識を与え詰め込ませるような早期教育ではなく、子どもの本性と個性を尊重した教育を重視した。

 盛岡幼稚園創設にかかわった長岡栄子氏やミセス・タッピング先生そして一緒に働いた佐藤トク先生等、共にフレーベルの教育を行っている。その教育課程や計画は資料として残っていないが、どのような教育内容だったのかは、長岡輝子著『父からの贈りもの』や盛岡幼稚園90周年史に卒園生の思い出として書かれていて参考になる。

令和5年2月17日 園長 坂本信行